2018年5月5日土曜日

いま生きる階級論 佐藤優



マルクスの資本論を読み解く書籍。古典の威力を思い知らされた。



いま生きる「資本論」 (新潮文庫)

ざっくりまとめると以下な感じ。


資本主義社会は自由と平等を原則に、労働力という商品を自由に売買することで成り立っている。しかし、国家と国民の関係は、自由と平等の原則がイデオロギーによって隠蔽されている(なぜなら、国民には納税の義務がある)。よって、社会という範囲において、資本主義社会は成立している。そして、マルクスによれば、社会は三つの階級に収斂される。(社会のみではなく、国家をも想定した場合は4つの階級)
  • 資本家 (=余剰価値を独占) - 実体資本、擬制資本を抱えている
  • 労働者
  • 地主
  • 《官僚(=国家) 》
マルクスの三位一体の定式とは、資本-利潤/土地-地代/労働-賃金。ここで、労働者に着目すると、(労働者が人的資本を労働市場に投入して生み出す)労働力商品は、消費によってしか生産できない。つまり、労働力商品は欲望と結びついている(イスラムの世界などは宗教と結びついている)。そして、労働力商品の対価として得られる賃金は、消費財、家族を養う費用、イノベーションに伴う自己教育費用(専門教育ではなく基礎教育)が賄える程度に設定されている。こうした商品経済の論理を現在のグローバリゼーションと結びつけると、グローバリゼーションの本質は国家対資本(グローバル)であって、搾取した労働力によって得た富をグローバル(Google,Facebookなどのグローバル企業)が蓄積するのか、国家が奪うのか、といった問題に収斂していく。資本主義社会とは、悲しいかな、労働を搾取しない限り、豊かにはならない世界なのだ。 

 まず、労働者商品。これは、なんとなくピンときますね。だって、PRADAのバッグも、ルブタンの靴も、オーディマ・ピケの腕時計といったブランド品、嗜好品は、欲望を駆り立てずには売れません。広告みても、美人なモデルがお金のかかった綺麗な景色を背景にポーズを決めています。だれかが消費してくれないと、ブランド品の生産側の労働力も不要になる構造なわけです。これは、食品も、住居も、衣服も同様。だから、みんな高級品を買ってドヤれるように企業が協力して仕向けるわけです。そうして、消費のラットレースに組み込まれていきます。
 次に、サラリーマンの賃金。会社の株主総会資料や決算書を読めばわかる通り、多くの場合、負債の返済、株主への還元、将来の収益に向けた設備投資などを経て、最後に従業員に賃金を上げる順番になっています。ほら、「弊社は東京だと、家賃手当が8万あるから福利厚生がいい」とか、「途上国の海外駐在になれば、物価補正の補助金があるから貯金が貯まる」とかいった発言の背景には、結局、最低限の衣食住のお金+多少の嗜好品消費ができる程後の(日本の労働市場を反映した)賃金体系に組み込まれているからにすぎないわけです。そして、多くのサラリーマンはここから抜け出せないからこそ、上記のような少しでも福利厚生にしがみつこうといった発想になるわけです。本書で、佐藤はヘッジファンドのトレーダーやPEファンド勤務のサラリーマンが高給な理由を「賃金ではなく、利潤の一部を得られる職種/ポジションだから」と説明しています。やはりリスクを取った人にはリターンがある資本主義社会の恩恵を受けるならば、サラリーマンであっても、プロフェッショナルサラリーマンでなければならないわけです。


そんな時代の中で、ゆとり世代はしぶとく生きて行く必要があるわけです。
いやー人生考えさせられますね~。


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